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日本人に必要なことは、極端に触れるクレイジーさ。

 

ヤーマンこんちわ、スグル(@soogle01)です。

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以前、友人からもらった本の一部に、「日本人に必要なことは、極端に触れるクレイジーさ」と書いてあった。この一文が忘れられない。

初めて極端に触れたことと言えば、ヒッチハイクの旅だった。
初めて親指を立て、初めて野宿した。

 

人の優しさを浴び、慈愛に生かしてもらった。
寒くて凍え死にそうな中、パーキングエリアの障害者用トイレで地面にダンボールを敷いて寝た。寒過ぎて寝れなかったけど。

その旅の直後、絶対にコレだというわけわかんない直感のもと、ヒッチハイクで日本を一周した。これがぼくの人生で大きな分岐点となったんだ。

途中、様々な出逢いや、自身が感極まっていたのもあって、財布を家に送って無一文で旅を続けた。
皮肉なことに、財布を持って旅をしていた時よりも裕福に旅することが出来たんだ。
様々なひとのおかげでね。

あの時のあのぼくは、間違いなく極端に触れていた。思いっきり触れることによって、自分にしか見えない世界が広がっていた。
その世界の広がりに自分自身がついていけなかったほど、メキメキと音をたててワールドは広がった。

当時19歳のぼくは、人生で非常に勉強になる経験を出来た。
今の日本人に必要なことはなんだろう。食品添加物への意識?政治だったり、メディアに対する勉強?それとも愛を知ること?

ぼくには甚だわからないけど、「極端に触れるクレイジーさ」は必要なことだと身を持って言える。
自分の考えられる範囲の限界点を突破することが人生において、一回くらいは必要じゃないかなと思う。
極端までいくことにより、失うものもあるかもしれないけど、宙ぶらりんよりかはマシだなとぼくは思う。

結局のところ、何かを得るためには何かを手放さないといけないんだ。
これは多分、世の法則であって、両手に持てる個数は限られていて、チャンスや人生を変えるようなキッカケは決して片手で易々掴めるようなものではないんだと思う。

もちろんひとにより、そのクレイジーな経験が必要かどうかは変わってくるけど、今の日本にこういった思想を持つ若者が増えれば、新たなムーブメントは起こるんじゃないかな。

保身ばかりに奔らず、極端に触れるクレイジーな日本人が増えれば、きっとなにかは起こる。
信じよう。泥臭く美しく生きよう。